○岐阜県ゆかりの先駆者たち
第7回
日本一の竹林翁
坪井伊助(つぼいいすけ)
1843-1925(天保14-大正14年)
竹の有用性に目をつけ、今から150年以上も前に優れた研究を行い、日本一の竹林翁と呼ばれた人が岐阜県にいました。
池田郡草深村(現揖斐郡池田町草深)出身の坪井伊助です。
伊助は、県会議員などの公職を歴任し、また茶の栽培や養蚕に取り組み、県下初の農業団体となる農談会を作るなど、地元の発展に尽くしました。
中でも、最も力を注いだのが竹の研究でした。
彼が住む池田山麓は地味がやせていて、農作物の栽培に不向きでした。ある年、所有する竹林より予想外に多く利益を得たことから、竹林を改良し収穫高を上げることができたら地元の利となると考えました。
明治14年(1881)、試作地を設け研究を始めます。竹の種類や分布、植栽法、人工変形など、竹に関わるあらゆる研究に取り組みました。
また、調査のため、日本国内はもちろん台湾や中国まで出かけ、その回数は150回余りに及びました。
彼は、新たな種類の竹を、産地で詳細に調べた上で持ち帰り、試作地で栽培しました。一度で根付かなければ、二度三度と出かけて集めました。
彼が作った竹類標本園は、日本産竹類をほとんど集め、よく分類・整理され、日本唯一のものとして全国に知られ、植物学者・竹林経営者・同好者が訪れては、その収集の膨大さ、緻密さに驚嘆したと言います。
彼の生涯をかけた研究は、『実験竹林造成法』と『坪井竹類図譜』の2冊の著作にまとめられました。
これらは竹類を研究する上で欠くことのできない文献として今日でも利用されています。
伊助は、竹の研究を続けること40年余り、大正14年(1925)に83歳で亡くなりました。
彼の死後、標本園は荒廃し無くなってしまいましたが、一部は各地へ分譲され、岐阜県内では養老公園の竹類見本園などで見ることができます。
[参考文献(岐阜県図書館所蔵)]
『岐阜県郷土偉人伝』 杉浦秋次郎 岐阜県郷土偉人伝編纂会 1933
『岐阜県人』 吉岡勲 新人物往来社 1977
『池田町史 通史編』 池田町 1978
『本郷村池田村人物誌』 織田正隆 1934
(岐阜県図書館 稲垣記)