○岐阜県ゆかりの先駆者たち
第8回
超常現象を研究し続けた心理学者
福来友吉(ふくらいともきち)
1869-1952(明治2-昭和27年)

 映画「リング」に、超能力公開実験失敗によりマスコミから糾弾される教授が出てきます。そのモデルとされるのが、飛騨高山出身の心理学者・福来友吉です。
 友吉は、明治2年高山市下向町(現・本町3丁目)で福来喜兵衛・よう夫妻の二男として生まれました。小学校卒業前から奉公に出されましたが、彼には商人になる気がなく、両親を説得し、斐太中学、仙台の旧制二高、東京帝大哲学科へと進学しました。
 心理学を専攻し、卒業後も大学で研究を続けました。明治39年、催眠心理学の研究で博士号を受け、その第一人者となりました。その後、催眠中の被験者が、本の内容を透視する不思議な現象を目にし、彼の関心は催眠心理学から超常・心霊現象へと移りました。
 明治43年、千里眼婦人・御船千鶴子の名が新聞で評判になりました。友吉は実験を繰り返し、その透視能力は本物であると発表し大センセーションを巻き起こしました。
 次に、彼が関心をもったのが長尾郁子です。彼女の能力は、念ずると写真乾板に文字を焼き付けることができるという念写能力でした。友吉が念写能力を認めたという報道は、物理学者の大反発を招きます。明治44年1月、前帝大総長山川健次郎博士を長とするグループが長尾郁子に対し実証実験を行い、その念写能力はトリックであるとしました。
 1月28日御船千鶴子が自殺し、3月26日長尾郁子も亡くなり、真偽を確かめる道は閉ざされ、千里眼ブームは終わりました。
 その後、友吉は東京帝大を辞職し、高野山大教授となりましたが、念写能力に対する研究は続けました。昭和3年、国際スピリチュアリスト会議で念写研究について発表し、大正2年に『透視と念写』を、昭和7年に『心霊と神秘世界』を出版しました。
 戦後は仙台に移住し、土井晩翠、志賀潔らと東北心霊科学研究会を結成。心霊現象の研究を続け、昭和27年3月13日、83歳で死去しました。
[参考文献(岐阜県図書館所蔵)]
『催眠心理学』 福来友吉 成美堂書店 1906
『透視と念写』 福来友吉 東京寶文館 1913
『心霊と神秘世界』付録解説研究編 心交社 1982
『飛騨偉人銘銘伝』 濃飛展望 1976
(岐阜県図書館 多田記)