○岐阜県ゆかりの先駆者たち
第17回
児童福祉の父
多田順映(ただじゅんえい)
1861-1923(文久元年-大正12年)
多田順映は文久元(1861)年、大野郡島村(現、揖斐郡揖斐川町島)で生まれました。
3歳で父と6歳で母と死別します。こうした生い立ちが後の育児院設立の夢へとつながっていきました。
僧として京都での厳しい修行を終え、明治14(1881)年、20歳の時に結婚。
明治33(1900)年、39歳の時に家の反対を押し切って3人兄弟の孤児を引き取り養育を始めました。
費用の大半を寄付金や私費で賄い、明治39(1906)年には、財団法人に認可され「清水(きよみず)育児院」となりました。
ところが院内に非行者がでてきたためこの風潮を断ち切るために「感化部」設立の認可を受け施設を新設しました。この施設は明治42(1909)年3月「岐阜県代用感化院」の指定を受け、4月清水育児院豊富学院として発足しました。
大正10(1921)年、60歳の時に永年の児童功労を讃えられ藍綬褒章を受賞。
大正12(1923)年7月19日、病のため妻と3人の子ども夫婦と多くの孫たちに見守られながら62歳の生涯を終えました。
清水育児院は社会福祉法人の児童福祉施設や障害者福祉施設となり、また豊富学院はその後法改正により県へ移管され名称を「岐阜学院」、昭和57年4月からは「県立わかあゆ学園」と改称されています。
多田順映の尊い志は現在も脈々と続いています。
[岐阜県図書館所蔵 参考資料]
『岐阜県障害児教育人物史』 藤村文雄著 履信文庫 1995年
『岐阜県人のルーツ』 中日新聞社岐阜総局編 郷土出版社 1987年
『濃飛人物史 復刻版』 岐阜県歴史教育研究会編 濃飛人物史刊行会 1985年
『風雪百年郷土にかがやくひとびと 中巻』 岐阜県青少年センター編 岐阜県 1969年
『わかりやすい岐阜県史』 岐阜県編著 岐阜県 2001年
『大野町史 通史編』大野町編 大野町 1985年
「多田順映 孤児をそだてて」 吉岡勲 『岐阜史学』 第54号 1968年
「多田順映 児童福祉の先駆者」 杉原明雄 『美濃の文化』 第30号 1986年
「清水育児院を支えた寄付金募集活動」 早野博之 『郷土研究・岐阜』 第80号 1998年
「私立倶楽陣尋常小学校の成立とその消長 清水育児院内小学校の歩みについて」 藤村文雄 『岐阜県教育史研究』 第2号 1995年
(岐阜県図書館 近藤記)