○岐阜県ゆかりの先駆者たち
第18回
日本博物館育ての親
棚橋源太郎(たなはしげんたろう)
1869-1961(明治2年-昭和36年)
棚橋源太郎は、方県郡木田村(岐阜市)南柿ヶ瀬で生まれ、本巣郡北方村(北方町)森で育ち、将来の教育界を背負って立つエリートの集まりである東京高等師範学校の博物科に入学しました。
卒業後、教師となり多くの著作や論文を執筆しましたが、同校の附属教育博物館の経営にも力を注ぎ、積極的な博物館経営により利用は大きく増えました。
博物館研究のための留学後は、日本赤十字参考館(後の赤十字博物館)開館に取り組み、留学で得た知識を基に、『眼に訴へる教育機関』を出版しました。この書は広く博物館について書かれており、博物館学の基本図書の一冊となりました。
昭和6年、設立に尽力した東京科学博物館が上野に開館し、源太郎は全国の博物館などの文化観覧施設をさらに充実発展させる決意を新たにしました。
その後、空襲による家の焼失、長男の源一郎の戦死等の不運を乗り越え、日本博物館協会の仕事に打ち込みました。
昭和28年には、立教大学の講師となり、83歳の源太郎は1回の休みもなく週1回電車を乗り継いで学校へ通い、以後7年間博物館学の講義を続けました。
昭和33年、社会教育への功労として藍綬褒章を授与されました。翌34年には国際博物館協会の名誉会員に推挙され、世界で3人目の栄誉を受けました。
昭和36年4月3日、惜しまれながら91歳の生涯を終え、勲三等瑞宝章が追贈されました。
信念の人、無欲の人、努力の人と言われる棚橋源太郎は、日本の教育や博物館の発展に実に偉大な業績を残しています。
]岐阜県図書館所蔵 参考資料]
『棚橋源太郎 博物館にかけた生涯』 宮崎惇著 岐阜県博物館友の会 1992
『棚橋源太郎先生年表』 宮崎惇著 棚橋源太郎先生顕彰研究会 1991
『棚橋源太郎における郷土科の構想』 新井孝喜著 棚橋源太郎先生顕彰研究会 1991
『棚橋源太郎研究』 棚橋源太郎先生顕彰研究会 1991-2
『岐阜県博物館所蔵棚橋源太郎先生関係資料目録 1』 棚橋源太郎先生顕彰研究会 1991
『棚橋源太郎先生(1869〜1961)研究資料集』 棚橋源太郎先生顕彰研究会 1992
『棚橋家小史』 棚橋源太郎著 棚橋源太郎先生顕彰研究会 1992
『本邦博物館機構の改善』 棚橋源太郎著 棚橋源太郎先生顕彰研究会 1992
『棚橋先生の生涯と博物館』 宮本馨太郎著 六人社 1962
『棚橋源太郎と手工教育』 小出義彦・石田文彦著 日本産業技術教育学会 1998
『教育博物館における教育機能の拡張』 佐藤優香著 全日本博物館学会 1998
『生活教育の100年』 川合章著 星林社 2000 ほか
(岐阜県図書館 坪井記)