第22回
富田学園の創立者
富田 かね
(とみだ かね)
1873-1957(明治6年−昭和32年)

 富田かねは、明治6年揖斐郡大和村(現揖斐川町)に生まれた。東京に出て渡辺裁縫女学校に学ぶ。
 明治27年、小学校裁縫準教員免許状を受け、翌年揖斐郡池田村の専科準訓導となる。その後、裁縫教員免許状を受け、岐阜市立高等女学校助教諭、岐阜高等女学校教諭となる。
 自分の信念に基づいた女子教育を行いたいという思いを抱いたかねは、岐阜高等女学校を辞し、明治39年に「私立富田女学校」を設立。
 校舎は民家を借りてのスタートだった。
 同校は普通科・高等科・師範科・研究科を備え、とくに師範科は、教員志願者にとり格好の学びの場となった。
 明治45年、八ッ梅町に新校舎を建築移転、大正11年、高等女学校を併置した。
 かねが実現しようとしていた信念は、良妻賢母の育成だった。当時の高等女学校の教育が実生活から離れたものにみえたかねは、裁縫を中心に位置づけ、実際に役に立つ女子教育を目指した。
 「家事」「修身」をはじめ、「編物」「染色」などを取り入れ、校長のかね自身も「修身」「家事」「裁縫」の三教科を受け持った。
 夏期休暇には小学校の先生を対象に講習会を開き、手芸一般の教育に力を入れた。受講者は県内を始め近隣からも多数集まり、好評を得た。
 昭和3年、教育功労者として藍綬褒章を受けた。
 昭和19年財団法人岐阜市富田高等女学校を設立するが、翌年空襲により全校舎を焼失した。
 昭和21年、岐阜市長森野一色の現在地に移転、昭和26年、学校法人富田学園を設立した。
 昭和31年創立50周年記念式を挙行したが、その翌年かねは、学校教育に捧げた84年の生涯を閉じた。

<参考文献>
 『実験裁縫全書』(富田かね著) 1939年
 『六十年史』(富田女子高等学校刊) 1969年
 『八十年の歩み』(富田女子高等学校刊) 1987年
 『岐阜市史』通史編 近代 1981年
 『郷土歴史人物事典 岐阜』 1980年

岐阜県図書館 後藤記
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