飛騨路 中山七里 傳説の池 孝池水

 その昔、門原の地に左近という親孝行な人物が母と二人で暮らしていた。左近は病床に臥した母のため琵琶湖の水を汲みに行くが、戻ると母は亡くなっていた。左近は泣き伏し、流れ出た琵琶湖の水は池となり、その水は孝子水と呼ばれた。
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