晴れた日、笠井峠の頂上にたつと、薬師や北ノ俣などの岳山のつながりが、くっきり輪郭も美しく、私は奥飛騨に生まれた 山の子の倖せに胸をはずませた。
(「笠井峠」(『飛騨雪解』所収))

作家解説

江夏美好は、大正12(1923)年、岐阜県吉城郡神岡町(現 飛騨市)に生まれた。高山高女(現 飛騨高山高校)在学中に文学に目覚めるものの、脊椎カリエスのため中退。昭和17(1942)年に中野茂と結婚。夫の転勤に伴い、全国を点々とする。最後に移り住んだ名古屋で昭和34(1959)年に自らが主宰する「東海文学」を創刊。江夏美好の作品の主な発表の場は、この「東海文学」であった。直木賞候補作となった『脱走記』『流離の記』も「東海文学」に発表したものである。江夏は、自ら同人雑誌に作品を発表しながら、自宅で合評会や例会を開くなどし、後輩の指導にも熱心にあたった。「東海文学」に昭和41(1966)年に連載を開始した『下々の女』は、昭和46(1971)年に第11回田村俊子賞を受賞し、彼女の代表作となった。この作品では、それまで小説の題材としてこなかったふるさと飛騨の歴史や風俗とともに、明治・大正・昭和の3つの時代を生きた一人の女性の人生を描いている。執筆の背景には、「自分の顔に責任を持て」といわれる年齢になり、自らの責任を果たすためにすべきことは「ふるさとの大地を舞台にしての文学作品を書きあげること」だという彼女の決意があった(「創作ノートにかえて」より)。

代表作一覧

1963年 脱走記(光風社)
1963年 炎昼(光風社)
1966年 流離の記(冬樹社)
1971年 下々の女(河出書房新社)
1971年 檻の中の女(光風社書店)
1973年 阿古女のうた(風媒社)
1975年 もがり笛(風媒社)
1978年 飛騨雪解(中野書店)
1980年 雪の碑(河出書房新社)
1982年 針千本(河出書房新社)

年譜

年齢 生涯に関する事項
大正12年(1923) 1月12日、吉山今治・ちなの四男三女の末娘として、吉城郡神岡町(現 飛騨市)で出生。
昭和17年(1942) 19歳 中野茂と結婚。
昭和18年(1943) 20歳 大阪商工会議所が募集した戯曲に「母ぐるま」で入選。
昭和25年(1950) 27歳 「南海鳥獣店」が第1回新潮社文学賞佳作受賞。
昭和27年(1952) 29歳 「ごんぼ」が文学界新人賞を受賞。
昭和32年(1957) 34歳 6月、夫の転勤で名古屋市に移り住む。夏、同人雑誌「文藝首都」支部を設立。
昭和34年(1959) 36歳 9月、名古屋市園山町で「東海文学」創刊、主宰。
昭和38年(1963) 40歳 5月、「炎昼」を古賀由子名義で「東海文学」第14号に発表。7月、『脱走記』を光風社より刊行。(筆名・江夏美子)10月、『炎昼』を光風社より刊行。(筆名・江夏美子)
昭和39年(1964) 41歳 1 月、「脱走記」が第50回直木賞候補となる。「東海文学」9月号掲載の「鳥獣人図」から、筆名を「江夏美好」とする。
昭和40年(1965) 42歳 1 月、「流離の記」が第52回直木賞候補になる。
昭和41年(1966) 43歳 「下々の女」第1回を「東海文学」第26号に発表。2月、『流離の記』を冬樹社より刊行。(筆名・江夏美好)
昭和46年(1971) 48歳 2月、『下々の女』を河出書房新社より刊行。4 月、『下々の女』で第11回田村俊子賞受賞。8月、『檻の中の女』を光風社書店より刊行。
昭和48年(1973) 50歳 7月、『阿古女のうた』を風媒社より刊行。
昭和50年(1975) 52歳 12月、『もがり笛』を風媒社より刊行。
昭和53年(1978) 55歳 4月、『飛騨雪解』を中野書店より刊行。
昭和55年(1980) 57歳 4月、口腔底癌のため入院。(~昭和56[1981]年6月)11月、『雪の碑』を河出書房新社より刊行。
昭和56年(1981) 58歳 「東海文学」を第80号で終刊。
昭和57年(1982) 59歳 2月、闘病記「針千本」を中日新聞に連載開始。(2/1~4/24・全63回)7月17日、名古屋市の自宅にて逝去。享年59歳。8月、『針千本』を河出書房新社より刊行。

参考

「文芸中部」第40号(文芸中部の会、1995年)掲載の年譜、及び、文化のみち二葉館(名古屋市)作成の年譜を参考に作成した。