峠に立つと
見えなかった風景が
ひらけてくる。
川ぞいの村、森、遠い町...
そこへいく ひとすじの道。
(『峠』)
作家解説
『峠』で始まる代表作「ちさ・女の歴史」シリーズは、飛騨を舞台とした父母の生い立ちから、主人公「ちさ」が生活に苦労しながらも自分の心に正直に強く生きる姿を描いた作品である。美しくも厳しい飛騨の自然の中で、人々は生計を助けるために峠を越え、ふるさとを離れた。それは苦難への道ではあったが、新たな世界への第一歩でもあった。早船ちよは、自身の境遇にも重ねて、未知の世界へ足を踏みだす希望をこの小説に描いたのである。
早船は、大正3(1914)年に岐阜県吉城郡古川町(現 飛騨市)に生まれ、大野郡高山町(現 高山市)に育った。昭和8年に上京し、戦時中は夫である井野川潔とともに、埼玉県北足立郡戸塚村(現 川口市)に疎開。鋳物で栄えた川口市との出会いから『キューポラのある街』が生まれた。この小説は日活で映画化され、吉永小百合の女優デビュー作となった。
暮らしの拠点が変わっても、早船はふるさとである飛騨を想う随筆等の作品を数多く著わしている。『わたしの飛騨』といった作品からは、ふるさとへの深い想いがうかがえると同時に、飛騨での生活がその創作活動のバックボーンを形成していることがわかる。
早船は自身の創作と同時に、夫とともに児童文化運動にも尽力した。色紙の言葉「生活の だいじなところで 受けとめられ 生活の だいじなところで ごつんとくる 文学を」からは、子どもたちの心に直接響き、生きる力となるような文学の創作をめざす作家の覚悟が感じられる。
代表作一覧
1962年 | ポンのヒッチハイク(理論社) |
1963‐1975年 | 「キューポラのある街」シリーズ(6部作)(理論社) |
1965年 | 原野わがふるさと 上下巻(理論社) |
1970年 | ふるさと飛騨 自伝的随想集(新宿書房) |
1971年 | 枯木灘の子守唄(日本交通公社) |
1973年 | いさごむしのよっ子ちゃん(新日本出版社) |
1975年 | わたしの飛騨(けやき書房) |
1976年 | あすも夕やけ(新日本出版社) |
1979年 | 「ちさ・女の歴史」シリーズ(6部作)(理論社) |
1985年 | 童話と絵本の世界(講談社) |
年譜
年 | 年齢 | 生涯に関する事項 |
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大正3年(1914) | 吉城郡古川町三之町(現 飛騨市)に父住田乙之助、母はるの長女として生まれる。生後まもなく両親と大野郡高山町有楽町(現 高山市)に移る。 | |
大正10年(1921) | 7歳 | 高山女子尋常高等小学校(現 南小学校)に入学。学校文集「銀のすゞ」に毎号、詩や作文などが掲載される。 |
昭和2年(1927) | 13歳 | 飛騨毎日新聞の懸賞論文「十年後の飛騨」で審査外特別作を受賞。4月、高等科へ進学。 |
昭和4年(1929) | 15歳 | 全国雑誌「鑑賞文選」に最初の童話「松葉牡丹の種子」等が掲載されるなど、編集者小砂丘忠義に才能を認められ、小説、詩、短歌などが多数発表。 |
昭和5年 (1930) | 16歳 | 6月、東洋レーヨン石山工場(滋賀県)に女工として就職するが、9月に退職。 |
昭和6年 (1931) | 17歳 | 1月、片倉製糸下諏訪工場で生繭袋を倉庫に運ぶ仕事に従事。 |
昭和8年 (1933) | 19歳 | 1月、小砂丘忠義の勧めにより上京。小砂丘の同人であった井野川潔(本名・早船斌男)を知り、後に結婚(昭和9[1934]年)。 |
昭和16年(1941) | 27歳 | 12月、最初の著書『七ヒキノコガニ』(科学童話集)を新民書房より刊行。 |
昭和19年(1944) | 30歳 | 埼玉県北足立郡戸塚村西立野(現 川口市)へ戦時疎開。鋳物の街、川口と出会う。 |
昭和23年(1948) | 34歳 | 2月、「峠」原型を「文藝首都」に発表。本格的な作家活動を開始。 |
昭和24年(1949) | 35歳 | 5月、井野川とともに「埼玉文学」創刊。7月、「湖」原型を「若草」に発表。 |
昭和25年(1950) | 36歳 | 5月、新作家協会を創立。「文学世界」を創刊。後に同人誌「新作家」を刊行。 |
昭和28年(1953) | 39歳 | 浦和市瀬ケ崎(現 さいたま市)へ転居。 |
昭和34年(1959) | 45歳 | 9月、「キューポラのある街」(14回分)を「母と子」に連載。 |
昭和36年(1961) | 47歳 | 井野川とともに児童文化の会を創立。4月、『キューポラのある街』を弥生書房より刊行。 |
昭和37年(1962) | 48歳 | 2月、『ポンのヒッチハイク』を理論社より刊行。(産経児童出版文化賞)4月、井野川とともに「新児童文化」を創刊。『キューポラのある街』が日本児童文学者協会賞などを受賞。日活で映画化(監督:浦山桐郎 主演:吉永小百合)。9月、33年ぶりの帰郷。高山市文化協会が「早船ちよと語る夕べ」を開催。 |
昭和40年(1965) | 51歳 | 1月、『未成年』を理論社より刊行。(5月、日活で映画化。)6・7月、『原野わがふるさと』上下巻を理論社より刊行。(桜映画社で映画化。) |
昭和41年(1966) | 52歳 | 3月『峠』、8月『湖』、12月『街』の3部作を理論社より刊行。 |
昭和45年(1970) | 56歳 | 『ふるさと飛騨』を新宿書房より刊行。7月、「新児童文化」を改題して「子ども世界」を245号まで発行。 |
昭和46年(1971) | 57歳 | 6月、『枯木灘の子守唄』を日本交通公社より刊行。 |
昭和48年(1973) | 59歳 | 9月、『いさごむしのよっ子ちゃん』を新日本出版よ社り刊行。 |
昭和50年(1975) | 61歳 | 1月、『わたしの飛騨』をけやき書房より刊行。4月、『キューポラ銀座』を理論社より刊行し、「キューポラのある街」シリーズ6部作(理論社、1963‐1975年)完成。 |
昭和51年(1976) | 62歳 | 2月、『お月さんのんだ』をポプラ社、『サロルン・リムセ』を童心社より刊行。3月、『あすも夕やけ』を新日本出版社より刊行。(翌年9月、岐阜県出身の神山征二郎監督により映画化。) |
昭和54年(1979) | 65歳 | 6月~11月、既刊『峠』『湖』『街』に続き、『冷たい夏』『炎群の秋』『熱い冬』を書き継ぎ、「ちさ・女の歴史」シリーズ6部作として理論社より刊行。 |
昭和58年(1983) | 69歳 | 11月、岐阜県高校国語教育研究大会で講演。12月、『円空』を草土文化より刊行。 |
昭和60年(1985) | 71歳 | 10月、『童話と絵本の世界』を講談社より刊行。 |
平成元年(1989) | 75歳 | 12月、飛騨民俗村 文学散歩道に文章碑が建立される。 |
平成9年 (1997) | 83歳 | 7月、吉城郡古川町(現 飛騨市)の「アートイン・ふれ愛館」に「早船ちよ館」が開設。(後に飛騨市美術館内に、現在は飛騨市図書館内に移設。) |
平成16年(2004) | 90歳 | 4月、高山市図書館「煥章館」内に、「高山市近代文学館」が開館し、瀧井孝作、江馬修、福田夕咲らと共に、早船ちよの展示コーナーを開設。 |
平成17年(2005) | 10月8日、神奈川県湯河原にて逝去。享年91歳 |
参考
この年譜は、迅野あさ子氏(早船ちよ文学研究所)作成の年譜を基に作成した。