コボ!
なつかしいふるさとのことば。
コボ!
長い年月の流れと、土のにおいのすることば
(「コボたち」よ(「コボたち」第一号所収))

作家解説

岸武雄は、明治45(1912)年、岐阜県揖斐郡藤橋村(現 揖斐川町)に生まれた。昭和7(1932)年に岐阜県師範学校を卒業。岐阜大学教育学部附属小学校主事等を歴任し、昭和61(1986)年に聖徳学園岐阜教育大学教授を退官するまで、生涯にわたって教職に従事する。教員生活の傍ら創作活動に取り組み、児童文学作品や教育書など数多くの著作を残した。

岸が児童文学を志したのは、岐阜大学教育学部附属小学校の主事時代、朝礼で子どもたちに話をしたことがきっかけである。お説教ばかりになりがちな朝礼での講話も、「すじのあるお話」なら、子どもたちはよく聞く。それならば、魅力あるお話を子どもたちに語りたい。それが教育者である岸武雄の児童文学者としての出発点であった。朝礼で子どもたちに語った話は、のちに『子どもが耳をすますとき』として作品化されている。

昭和37(1962)年には、川口半平、赤座憲久らとともに岐阜児童文学研究会を創設する。昭和47(1972)年に月刊誌「コボたち」を創刊するなど、岐阜県における児童文学の発展にも大きく貢献した。岸の作品の中には、薩摩藩士による宝暦の治水工事に材を求めた『千本松原』や、郡上一揆を取り上げた『人間らしく生きたい』など、地域の歴史を題材として、そこに渦巻く人間模様を描いた作品が数多く存在しており、岐阜県に根ざした作家であったといえる。また、当展示でも紹介した詩「「コボたち」よ」には、地域の豊かな文学を後世に伝えていきたいという強い思いとともに、未来に生きる子どもたちへの期待と愛情にあふれた教育者岸武雄のメッセージが込められている。

代表作一覧

1961年 子どもが耳をすますとき(黎明書房)
1971年 千本松原(あかね書房)
1971年 炭焼きの辰(偕成社)
1972年 化石山(偕成社)
1974年 あほろくの川だいこ(ポプラ社)
1979年 花ぶさとうげ(講談社)
1981年 先生たいへん事件です(金の星社)
1990年 人間らしく生きたい(小峰書店)
1994年 わたしはひろがる(小峰書店)

年譜

年齢 生涯に関する事項
明治45年(1912) 7月6日、岐阜県揖斐郡藤橋村(現 揖斐川町)に生まれる。
昭和7年(1932) 20歳 岐阜県師範学校を卒業。短期現役兵に就く。本巣郡の船木尋常小学校教諭に就く。
昭和8年(1933) 21歳 岐阜市の長良尋常小学校教諭に就く。
昭和9年(1934) 22歳 教育学の文部省検定に合格。
昭和18年(1943) 31歳 岐阜青年師範学校助教授に就く。
昭和21年(1946) 34歳 揖斐郡の横山国民学校校長に就く。
昭和25年(1950) 38歳 岐阜県教育委員会指導主事に就く。
昭和29年(1954) 42歳 岐阜大学学芸学部(現 教育学部)附属小学校主事に就く。朝礼の時に生徒たちに話をしたことがきっかけで創作を志す。
昭和36年(1961) 49歳 11月、『子どもが耳をすますとき』を黎明書房より刊行。
昭和37年(1962) 50歳 川口半平、赤座憲久らと岐阜児童文学研究会を創設。本格的に創作活動をはじめる。
昭和44年(1969) 57歳 6月、『風船学校』を毎日新聞社より刊行。
昭和45年(1970) 58歳 3月、『もぐりの公紋さ』を童心社より刊行。
昭和46年(1971) 59歳 『千本松原』にて第9回野間児童文芸賞推奨作品賞受賞。5月、『千本松原』をあかね書房より刊行。11月、『炭焼きの辰』を偕成社より刊行。
昭和47年(1972) 60歳 岐阜児童文学研究会の同人らと、児童文学雑誌「コボたち」を創刊。学制百年記念教育功労者表彰受賞。9月、『化石山』を偕成社より刊行。
昭和49年(1974) 62歳 3月、『あほろくの川だいこ』をポプラ社より刊行。
昭和50年(1975) 63歳 岐阜県芸術文化顕彰受賞。
昭和51年(1976) 64歳 岐阜大学教育学部退官、聖徳学園岐阜教育大学教授就任。
昭和54年(1979) 67歳 『花ぶさとうげ』で第28回小学館文学賞受賞。3月、『花ぶさとうげ』を講談社より刊行。
昭和56年(1981) 69歳 7月、『先生たいへん事件です』を金の星社より刊行。
昭和61年(1986) 74歳 聖徳学園岐阜教育大学退官。
平成2年(1990) 78歳 7月、『人間らしく生きたい』を小峰書店より刊行。
平成6年(1994) 82歳 7月、『わたしはひろがる』を小峰書店より刊行。
平成9年(1997) 85歳 岐阜市ふるさと文化賞受賞。
平成14年(2002) 1月21日、逝去。享年90歳。

参考